ブランド・ストレッチとは?星野リゾートに学ぶ、既存ブランドの価値を毀損せず事業を広げる6つのステップ
事業を成長させたいと考えたとき、多くの企業が直面するのは、これまで築いてきたブランドをどこまで広げてよいのかという問題です。既存の商品やサービスで一定の評価を得られるようになると、別の商品を販売したくなり、異なる顧客層に進出したくなり、これまでより高い価格の商品や、反対に手に取りやすい価格の商品を用意したくなります。しかし、そのすべてに同じブランド名を付ければよいわけではありません。新しい商品が売れることと、既存ブランドの価値が保たれることは、別々に考える必要があります。
この問題を考えるうえで参考になるのが、星野リゾートのブランド展開です。星野リゾートは、星のや、界、リゾナーレ、OMO、BEBなど、異なる滞在体験を提案するブランドを展開しています。公式の案内でも、星のやはラグジュアリーな非日常の滞在、界は温泉旅館、OMOは街を楽しむ都市滞在というように、宿泊先を選ぶ理由が分けて説明されています。
INTRODUCTIONブランド・ストレッチとは|信用を引き継ぎ、期待を混ぜないための枠組み
ここで重要なのは、単に高いホテルと安いホテルを分けている、と理解しないことです。顧客は価格だけで宿泊先を選んでいるわけではありません。特別な記念日に施設の中でゆっくり過ごしたい旅行と、街を歩きながら飲食店や文化を楽しみたい旅行では、同じ人であっても求める価値が変わります。その違いを無視して、すべてを同じ名前、同じ約束、同じ見せ方で販売すると、「このブランドに何を期待してよいのか」が曖昧になってしまいます。反対に、すべてを完全に独立したブランドにしてしまえば、これまでに築いた信用を新しい事業で生かしにくくなります。
つまり、ブランドを成長させるには、既存の信用を引き継ぐことと、異なる期待を混ぜないことを、同時に実現しなければなりません。この両立を考えるための枠組みが、ブランド・ストレッチとブランド・アーキテクチャーです。前者はブランドの価値を新しい商品、用途、市場などへ広げる考え方であり、後者は親ブランドと個別ブランド、商品名などの関係を整理する考え方です。星野リゾートの例も、「星のやというブランドをそのままOMOに広げた」というより、企業全体の信用と各ブランド固有の体験を、どのような関係で配置するかという問題として捉えると理解しやすくなります。
ここからは、デビッド・テイラー著『ブランド・ストレッチ――6つのステップで高めるブランド価値』の導入部に示された、コアの強化、ビジョン、アイデア、絞り込み、実現性、ブランド・アーキテクチャーという6つのステップを土台に、事業への応用を考えていきます。同書は2004年刊行のため、掲載されている成功率や当時の企業状況を現在の一般的な数値として扱うのではなく、意思決定の枠組みに注目します。
星野リゾートについては公式サイトで公開されている内容を参照しています。それ以外の仮想企業や料金の例は、考え方を説明するために置いた数字であり、実在企業の価格や実績ではありません。
STEP 01ステップ1:コアを強化する――広げる前に、「何を信用されているのか」を明確にする
コアとは、会社が言いたいことではなく、顧客が選んでいる理由である
ブランド・ストレッチを考える際、最初に取り組むべきことは、新しい商品名や新規事業の企画を考えることではありません。まず、自社の既存ブランドが何によって選ばれているのかを明らかにする必要があります。「品質が高い」「顧客に寄り添う」「専門性がある」といった言葉は、多くの企業が掲げられるため、それだけでは拡張の判断基準になりません。誰が、どのような場面で、何と比較して、どのような理由から自社を選んでいるのかまで具体化して初めて、広げるべきブランドの核が見えてきます。
例えば、ある広告運用会社が「高度な運用技術」を自社の強みだと考えていたとします。しかし、顧客が実際に評価しているのは、広告の細かい設定よりも、相談への返信が早いこと、数字の説明がわかりやすいこと、社内の担当者が交代しても支援が止まらないことかもしれません。この場合、「広告運用技術」を中心に新商品を考えるのか、「マーケティング担当者の不安と負担を減らすこと」を中心に考えるのかで、適切な拡張先は変わります。前者なら高度な分析サービスが候補になり、後者なら社内報告の支援や運用体制の整備が候補になるでしょう。
ここで区別したいのは、顧客の頭の中にある信用と、その信用を実際に支える企業の能力です。「この会社なら安心できる」という印象があっても、新しい領域でその期待に応える人材や仕組みがなければ、ブランド名だけを貸し出すことになってしまいます。反対に、社内に優れた技術があっても、顧客がその技術とブランドを結び付けていなければ、新サービスを出しただけで信用が自動的に移るとは限りません。ブランドの資産と、事業を遂行する能力を分けて確認することが出発点です。ブランド拡張を扱った実務的な論考でも、既存ブランドの評価だけでなく、事業上の能力やノウハウを新しい領域で活用できることが重視されています。
顧客の言葉と行動から、引き継ぐべき価値を確認する
コアを明確にするには、経営陣や制作会社だけでブランド会議を行うのではなく、既存顧客、失注した見込み客、解約した顧客の声を確認することが有効です。ただし、「当社の強みは何ですか」と聞くだけでは、相手が答えやすい一般的な言葉しか出てこない場合があります。実務では、「契約前にどの会社と比較したのか」「最後まで迷っていたことは何か」「契約後に最も助かった場面は何か」「なくなると最も困るものは何か」といった、具体的な出来事に沿った質問を組み立てるとよいでしょう。
その際、好意的な感想だけを集めないことも重要です。「担当者が親切だった」という評価と、「担当者が変わると品質が大きく変わる」という不満は、同時に存在し得ます。前者だけを見れば、人に寄り添うブランドとして拡張できそうに見えますが、後者まで確認すると、まず担当者による品質差を小さくする必要があるとわかります。ブランドの強さを確認する作業は、自社を褒める材料を集める作業ではなく、どの約束なら繰り返し守れるのかを確かめる作業です。
また、既存の購入者だけを見ると、ブランドが現在の顧客層の外側でどのように見られているのかを見落とします。高価格のサービスを利用している人から高く評価されていても、まだ購入していない人には「自分には関係のない会社」「相談すると高額な契約を勧められそうな会社」と認識されているかもしれません。拡張先の顧客に既存ブランドがどのような期待や警戒を生むのかまで確認しておくと、後の価格設計やブランドの分け方を判断しやすくなります。
守るべきものと、変えてよいものを分ける
コアの強化とは、既存の商品やサービスのすべてを固定することではありません。むしろ、変えてはいけないものを絞り込むことで、それ以外の部分を柔軟に変えられるようにすることです。例えば、宿泊事業を考えるなら、清潔さや説明の誠実さを共通の基準として守りながら、客室の広さ、食事の提供方法、接客の密度、館内での過ごし方などは、ブランドの目的に応じて変える設計が考えられます。違いをつくる場所と、違いをつくってはいけない場所を分けるのです。
仮に、ある企業のブランドの核が「難しいことをわかりやすくし、顧客が自分で判断できるようにすること」だとすれば、高価格の個別コンサルティングでも、低価格のオンライン教材でも、その核は維持できます。一方で、低価格の商品だから説明が不正確でもよい、サポート範囲が曖昧でもよい、重要な条件をわかりにくくしてよいということにはなりません。個別対応の量を変えることと、ブランドの根本的な誠実さを変えることは別です。
この段階では、「誰の、どのような状況に対して、何を約束するブランドなのか」「その約束を支える能力は何か」「拡張しても守る基準は何か」を一枚の文書にまとめておくと実務で使いやすくなります。長い理念文よりも、新しい企画が出たときに、その場で照らし合わせられる基準のほうが役に立ちます。
新規事業のために、既存事業の信用を食い潰さない
もう一つ忘れてはいけないのが、経営資源の問題です。新規事業を始めると、優秀な担当者や経営者の時間をそちらへ移したくなります。しかし、その結果として既存顧客への返信が遅れ、納品品質が落ち、主力商品の改善が止まるのであれば、新しい売上の裏で、既存ブランドを支えていた基盤が弱くなってしまいます。ブランドの拡張先で利益を生むことと、拡張元の信用を維持することを、同じ計画の中で考える必要があります。
もちろん、既存事業に課題がある企業は新規事業をしてはいけない、という意味ではありません。既存市場の成長が止まっている場合には、別の成長機会を探すことも必要です。ただし、その場合でも、新規事業に投入する人員、試験期間、予算、既存事業に残す最低限の体制を明らかにしておくべきです。「既存顧客に迷惑をかけないように頑張る」という精神論ではなく、誰が何を守るのかまで決めておくことが、コアの強化を実務に落とし込むということです。
STEP 02ステップ2:ビジョンを構築する――「何にでも広がれるブランド」にしない
売上目標とブランドのビジョンは違う
コアが明確になったら、次に考えるのは、その価値を将来どこまで広げたいのかというビジョンです。ここで注意したいのは、「売上を倍にする」「店舗数を増やす」「全国展開する」といった事業目標と、ブランドのビジョンを混同しないことです。これらは企業が達成したい数字や規模を表していますが、顧客にとってどのような存在になりたいのかは説明していません。数字を伸ばすことだけを目的にすると、売れそうな商品なら何でも扱う方向へ流れやすくなります。
ブランドのビジョンは、現在の強みを起点に、顧客の生活や仕事のどの領域で価値を提供していくのかを示すものとして考えると実用的です。例えば、コーヒーを販売する企業が「コーヒーをもっと売る」と考えるのと、「忙しい人が日常の中で気持ちを切り替える時間をつくる」と考えるのでは、検討できる商品や体験が変わります。ただし、後者を際限なく広げて「人々を幸せにするためなら何でもする」としてしまうと、今度は選別の基準として機能しなくなります。
よいビジョンには、広がりと制約の両方が必要です。現在の商品名に縛られすぎると新しい機会を見つけにくくなり、抽象的すぎると無関係な事業まで正当化できてしまいます。「今の商品を超えられるが、何でも含めるわけではない」という範囲を言葉にすることが大切です。
親ブランドと個別ブランドで、ビジョンの抽象度を変える
複数のブランドを展開する場合、企業全体のビジョンと、個別ブランドの約束は同じ粒度にする必要がありません。企業全体では幅広い顧客に共通する価値を掲げ、個別ブランドでは利用場面や体験を具体化する、という設計が考えられます。上位のブランドは「何のために事業を行う会社なのか」を伝え、下位のブランドは「今回は何を選べばよいのか」を伝える役割を持たせるのです。
星野リゾートの公式案内では、星のや、界、リゾナーレ、OMO、BEBなどを、異なる旅の目的や過ごし方に対応するブランドとして紹介しています。このような構成を見ると、グループ全体の共通性を保ちながら、個別のブランドには、それぞれ異なる選択理由を持たせるという考え方を理解できます。
ここから一般企業への応用として考えられるのは、親ブランドがすべての商品に同一の体験を約束しないことです。例えば、教育事業を行う会社が、個別指導、少人数講座、動画教材を展開する場合、親ブランドでは学習内容の信頼性や理解しやすさを約束し、個別ブランドでは支援の密度や学び方を明確にする設計ができます。そうすれば、動画教材を利用する人が個別指導と同じ量の相談対応を期待することを避けながら、教材そのものへの信用は引き継ぎやすくなります。
「誰に売るか」だけではなく、「どの場面で選ばれるか」を決める
ブランドを分ける際、富裕層向け、中間層向け、若者向けといった属性だけで考えると、顧客を固定的に捉えすぎることがあります。同じ人が、ある日は時間を優先して簡便なサービスを選び、別の日には特別な体験にお金をかけることも考えられます。そのため、ビジョンをつくるときには、年齢や所得だけではなく、利用の目的、同行者、時間の使い方、失敗を避けたい程度なども含めて考えるべきです。
例えば、宿泊なら「年に一度の記念日に、移動せず施設内でゆっくり過ごす」「休日に街を歩き、飲食店を巡る」「仲間と予定を決めすぎずに過ごす」といった場面を分けてみます。すると、必要な客室、共用空間、食事、接客、情報提供の形が変わります。これは、同じ商品を価格だけ変えて売る発想ではなく、違う目的に対して違う完成形をつくる発想です。
BtoBサービスでも同様です。社内に担当者がいない企業は、業務を丸ごと任せられることに価値を感じるかもしれません。一方で、担当者はいるものの判断に自信がない企業は、実作業よりも相談やレビューを求めるかもしれません。さらに、自社で実行する能力はあるが手順だけ知りたい企業には、教材やテンプレートが適している場合があります。これらを単純な高い、普通、安いという区分にせず、どの仕事を誰が担うのかという違いとして設計すると、価格差にも理由を持たせやすくなります。
ビジョンには、やらないことを決める役割がある
ビジョンが本当に機能しているかどうかは、新しい企画を採用するときだけでなく、断るときに確認できます。「売れそうではあるが、既存ブランドが引き受けるべき期待とは違う」「顧客の課題は理解できるが、現在の体制では約束を守れない」「事業としては検討するが、このブランド名では提供しない」と判断できるのであれば、ビジョンは実務の基準になっています。
ここで大切なのは、事業への参入判断と、ブランド名を使用する判断を分けることです。新しい事業に経済的な魅力があっても、既存ブランドを使う必然性がない場合はあります。反対に、ブランドとの相性はよくても、収益性や運営体制の面で参入すべきではない場合もあります。「やりたい事業だから同じブランドを付ける」という順番にしてはいけません。
ステップ2の成果物としては、ブランドが将来提供したい価値を表す文章に加えて、対象とする利用場面、広げてよい範囲、慎重に検討する範囲、既存ブランドでは扱わない範囲を定めるとよいでしょう。ビジョンは、可能性を広げるための言葉であると同時に、拡張の方向を制御するための言葉でもあるのです。
STEP 03ステップ3:アイデアを生み出す――顧客の未解決の課題を起点にする
「売れるものを増やす」より、「解決できていないこと」を探す
ブランド・ストレッチの企画で陥りやすいのは、社内に余っている設備、人員、技術などから、そのまま新商品を考えてしまうことです。もちろん、既存資源の活用は重要です。しかし、設備があるからつくる、担当者が得意だから売る、競合が始めたから追随するという理由だけでは、顧客がその商品を必要とする理由にはなりません。提供側の都合を、顧客側の価値に変換する工程が必要です。
アイデアを考える際には、現在の商品やサービスを利用する前、利用している最中、利用した後に、顧客がどのような不便を感じているのかを確認すると整理しやすくなります。例えば、研修サービスであれば、受講前には自社の課題を特定できない、受講中には実際の業務に置き換えられない、受講後には実践が続かないという問題があるかもしれません。この場合、新しい講座を増やすだけでなく、事前診断、実務への落とし込み支援、実践後のレビューといった拡張案を考えられます。
ただし、顧客の前後の課題をすべて自社で抱える必要はありません。既存ブランドとの相性がよく、能力を活用できるものは自社で提供し、それ以外は提携先につなぐという選択もあります。顧客の課題を理解することと、すべての課題を自社ブランドで解決することは同じではありません。
商品カテゴリーではなく、顧客が得たい結果から市場を見る
ブランドを広げる機会を見つけるには、「当社は何を売っている会社か」という問いを、一度「顧客は何を実現するために当社を使っているのか」という問いに置き換えてみるとよいでしょう。商品カテゴリーで考えると、現在の商品に近いものしか思い付きにくくなります。顧客の目的から考えると、異なる提供方法でも同じ価値を届けられる可能性が見えてきます。製品そのものではなく顧客の便益から市場を定義することは、拡張機会を探す出発点として広く示されている考え方です。
例えば、料理店が提供している価値を「料理を店内で食べてもらうこと」だけと捉えるなら、拡張案は新店舗や席数の増加に偏ります。しかし、「家庭では再現しにくい料理を、手間なく楽しめること」と捉えるなら、持ち帰り商品や調理済み商品の可能性を検討できます。ただし、店内の接客や雰囲気こそが評価の中心だった場合には、料理だけを切り出しても同じ価値にはなりません。目的から発想を広げつつ、どの部分が本当に引き継げるのかを確かめる必要があります。
この発想は、価格帯を広げる際にも役立ちます。高価格の商品から何かを削ることだけを考えるのではなく、「より低い予算の顧客が、最も実現したい結果は何か」を考えます。その結果、上位商品を不完全にしたものではなく、範囲は限定されていても目的に対して完成度の高い商品をつくれる可能性があります。
価格を変えるなら、提供範囲と顧客の参加方法を変える
ブランド価値を毀損しにくい低価格商品を考えるには、何を安くするのかを具体化しなければなりません。品質を下げるのか、対象を限定するのか、顧客自身が担う作業を増やすのか、個別対応を減らすのか、提供時間を限定するのかによって、顧客が受け取る意味は大きく変わります。価格だけを下げて、その他の期待を上位商品と同じままにしておくと、提供側も顧客側も無理を抱えます。
仮に、経営支援会社が高価格の個別伴走サービスから、低価格の商品へ広げるとします。このとき、「従来と同じように何でも相談できるが、担当者の経験だけが浅くなる」という設計では、価格差を納得してもらいにくくなります。一方で、「個別伴走では課題の特定から実行支援まで行う」「定型プログラムでは決められた課題に対して一定期間の支援を行う」「教材では手順を提供し、実行と判断は顧客が行う」という設計なら、提供の違いを説明しやすくなります。
このとき、低価格の商品を上位商品の劣化版として扱わないことも大切です。教材を選ぶ顧客は、単に予算が足りないのではなく、自分のペースで進めたい、社内に実行できる担当者がいる、個別の打ち合わせを減らしたいという理由で選ぶかもしれません。低価格商品にも、それを積極的に選ぶ理由をつくることが、ブランド同士の不必要な比較を減らすための設計になります。
ブランド名を付ける前と後で、受け取られ方を確かめる
新しい商品案ができたら、商品自体の魅力と、ブランド名を付けたことによる影響を分けて確認したいところです。商品内容だけを見せた場合には魅力的だと評価されるのに、既存ブランド名を付けると「この会社がやるのは違和感がある」と言われることも考えられます。反対に、内容だけでは目立たなくても、信頼している会社の提供だとわかることで検討対象に入る場合もあるでしょう。
研究上も、既存ブランドの品質評価だけでなく、新しい商品との適合性がブランド拡張の評価に関係することが示されています。また、拡張商品への懸念に対しては、親ブランドのよいイメージを繰り返すだけでなく、その商品の具体的な特徴を説明することが有効だったという実験結果があります。
実務で確認するなら、同じ回答者に順番に見せて誘導するのではなく、条件を分けた小規模な調査などを検討できます。ただし、小さな調査で好意的な反応が得られたからといって、販売成功が証明されたわけではありません。「よさそうだと思う」「使ってみたい」と「実際にその価格で購入する」は異なります。初期調査は、違和感や理解されにくい点を発見するために使い、購入行動や継続利用については、別の検証を用意するべきです。
ステップ3で効いてくるのは、アイデアの数ではなく、案ごとに、対象となる顧客、利用場面、未解決の課題、既存の代替手段、提供価値、想定価格、必要な能力が書き出してあるかどうかです。同じ形式で並べられる状態にしておくと、次の絞り込みで、声の大きい人の案ではなく、条件の整った案を選びやすくなります。
STEP 04ステップ4:アイデアを絞り込む――自社が勝てる理由と既存事業への影響を見る
「大きな市場」と「自社にとってよい市場」は違う
新しい市場の規模が大きいと、それだけで魅力的に見えることがあります。しかし、市場が大きくても、競合の優位性が強く、自社が選ばれる理由をつくれないのであれば、参入の魅力は限定的です。反対に、市場全体の規模はそれほど大きくなくても、既存顧客との関係や専門性を活用でき、継続的に利益を得られる領域であれば、検討する価値があります。
ブランド拡張の実務的な枠組みでも、機会の大きさだけでなく、企業がそこで勝てるかどうかが重視されています。差別化された商品に加えて、販売経路や継続的な投資など、実際に市場で戦うための条件が必要だという考え方です。
この視点を実務に落とし込むなら、顧客の課題の強さ、既存ブランドとの適合性、競争上の違い、必要な人員や技術、販売方法、収益性、既存事業への影響を分けて評価します。そのうえで、重大な問題を合計点で隠さないようにします。市場規模が大きいから品質上の重大な懸念を無視する、ブランドとの相性がよいから採算性を確認しない、といった判断を避けるためです。
評価表に点数を付けること自体は有用ですが、点数が意思決定を代行するわけではありません。特に、顧客への約束を守れない、必要な専門能力を確保できない、既存事業を維持できなくなるといった条件は、他の項目が高得点でも立ち止まる理由になります。
新商品の売上ではなく、会社全体で増えた利益を見る
ブランド拡張では、新しい商品の売上だけを見ると判断を誤ることがあります。新商品が売れていても、その購入者の多くが既存の高収益商品から移ってきただけなら、会社全体の利益は増えていないかもしれません。自社の商品同士で顧客を奪い合う現象をカニバリゼーションといいますが、これを無条件に悪いものとするのではなく、何が増え、何が減ったのかを確認する必要があります。
例えば、説明のために、既存サービスの1契約当たりの月間限界利益が8万円、新サービスが3万円だとします。ここでいう限界利益は、売上から販売や提供に伴って増える変動費を引いた額です。新サービスが40契約獲得できれば、その限界利益は120万円になります。しかし、そのうち10契約が、もともと継続するはずだった既存サービスからの切り替えであれば、既存サービス側では80万円の限界利益を失います。さらに、新サービスの運営に月30万円の追加固定費がかかるなら、会社全体の増分は、120万円から80万円と30万円を引いた10万円です。
新サービス単体の120万円だけを見れば順調に見えますが、全体として増えたのは10万円です。加えて、開発費や立ち上げ費用の回収が残っているなら、その分も考慮しなければなりません。「新しいブランドが売れた」という評価と、「会社全体として投資に見合う成果があった」という評価は分ける必要があります。
一方で、既存サービスから移った10契約が、新サービスがなければ競合へ流出していた顧客であれば、比較の結果は変わります。そのため、切り替えがあったという事実だけで損失と決め付けるのも不十分です。新商品が存在しなかった場合に、顧客がどのように行動していたかという仮説を置き、解約理由や移行理由を確認しながら判断します。
最初から大きく展開せず、重要な不確実性を順番に減らす
絞り込みの段階では、完璧な事業計画をつくることよりも、何がまだわかっていないのかを明らかにすることが大切です。顧客が本当に支払うのか、既存ブランドの信用が役立つのか、提供に想定以上の工数がかからないか、既存顧客が混乱しないかなど、拡張案には複数の不確実性があります。これらをすべて一度に解決しようとすると、準備が大きくなりすぎます。
例えば、対象顧客を限定した有料の試験提供であれば、購入意思だけでなく、契約前の説明にかかる時間、実際の提供工数、質問の種類、再購入や継続の意向などを確認できます。Web広告への反応を調べるだけではわからない、運営上の問題を発見できる可能性があります。ただし、試験提供だからといって、品質上の重大な問題や説明不足が許されるわけではありません。提供できる範囲と未対応の範囲を、通常の商品以上に明確にする必要があります。
また、最初の顧客が既存の熱心なファンだけであれば、その結果を一般の新規顧客にそのまま当てはめることはできません。既存の信用が強く働いた結果なのか、商品自体の魅力で選ばれたのかを分けて考え、次の段階では異なる顧客層でも検証するなど、少しずつ判断材料を増やしていきます。
続ける条件だけでなく、止める条件を先に決める
新しいブランドや商品には、企画した人の思い入れが生まれます。そのため、始めた後に問題が見つかっても、「もう少し広告を出せば売れる」「まだ顧客に伝わっていないだけだ」と考えて、投資を続けたくなることがあります。そうした判断を完全になくすことは難しくても、開始前に、継続、修正、中止の条件を決めておくことはできます。
例えば、採算が合わない理由が、立ち上げ直後の顧客数の少なさなのか、1件ごとの提供工数が構造的に大きすぎることなのかでは、対応が変わります。前者であれば販売方法の改善によって解決できる可能性がありますが、後者であれば価格や提供範囲の変更が必要です。さらに、既存ブランドに対する誤解や不満が増えているなら、販売拡大を優先する前に、ブランドの関係や説明を見直すべきです。
ステップ4の目的は、最も魅力的に見える案を一つ選ぶことではありません。限られた経営資源の中で、どの案を、どの条件で、どの規模から実行するのかを決めることです。採用しない案についても、将来の条件が整えば再検討するのか、既存ブランドとは切り離して検討するのかを整理しておくと、事業機会を無駄にせず、同時に拡張しすぎることも防げます。
STEP 05ステップ5:ブランド・ストレッチを実現させる――約束を実際の体験に変える
「実現性」は、できそうかどうかの検討だけではない
同書の導入部では、ステップ5の「実現性」を、顧客に約束した提供価値を実現することとして説明しています。したがって、この段階は、単に技術的につくれるか、開業できるか、販売開始に間に合うかを確認する工程ではありません。販売前に伝えた価値を、購入後の体験として届けられるかを問う工程です。
例えば、「忙しい人でも手間をかけずに使える」という商品を販売するのであれば、申込手続きが複雑で、初期設定に長時間かかり、困ったときの説明がわかりにくい状態では、約束を実現したことになりません。「安心して任せられる」というサービスなら、契約前の営業担当者が丁寧でも、契約後に連絡先がわからなくなるのであれば、顧客の体験は約束と一致しません。ブランドの約束は、広告の見出しではなく、顧客が実際に接する一連の流れで評価するべきです。
ここで注意したいのは、約束を大きくしすぎないことです。特にBtoBサービスでは、顧客側の体制や市場環境によって結果が変わるため、すべての成果を自社だけで保証することは難しい場合があります。そのような事業では、成果への取り組み方、判断の根拠、作業範囲、改善の進め方、報告の透明性など、自社が責任を持って提供できることを具体化する必要があります。
ブランドの言葉を、具体的なサービス要件へ翻訳する
「上質」「楽しい」「安心」「自由」といった言葉は、そのままでは現場の行動基準になりません。「上質」とは、何をどこまで行うことなのか。「自由」とは、どの選択肢を顧客に委ねることなのか。「安心」とは、どの不安がなくなっている状態なのか。抽象的な言葉を、設備、手順、人員配置、情報提供、対応時間などに置き換える必要があります。
OMOの公式紹介では、街を楽しむというコンセプトが、地域を知るスタッフによる提案、街の情報を得られるご近所マップ、滞在の拠点となるOMOベースなどの具体的な仕掛けと結び付けられています。ここから読み取れるのは、ブランドの世界観を言葉だけで示すのではなく、顧客が使える機能や体験に落とし込むことの重要性です。
一般企業で応用するなら、顧客が自社を知る段階、比較する段階、申し込む段階、使い始める段階、利用を続ける段階、困ったときの段階に分け、それぞれで約束が守られているかを確認すると整理しやすくなります。例えば、簡便さを売りにするサービスなのに、見積もりだけで何度も打ち合わせが必要なら、購入前の段階ですでに矛盾があります。丁寧な個別支援を売りにするサービスなのに、導入後の案内が一般的なメールだけなら、利用開始時に期待との差が生まれます。
価格差を、品質の乱れではなくサービス設計の違いで表現する
価格帯の異なる商品を展開するときは、共通の品質基準と、商品ごとに異なる提供範囲を先に分けておきます。例えば、低価格のサービスでは個別の打ち合わせを行わない、対応するテーマを限定する、標準の手順に沿って提供する、といった設計は考えられます。しかし、低価格だから説明が不正確でもよい、納期を守らなくてもよい、問い合わせを放置してもよいという設計にはできません。
仮に、高価格の支援では専任担当者が個別に分析し、定期的な会議で改善策を検討する一方、低価格の支援では定型の診断と文書での提案を提供するとします。この場合、どちらも分析の前提や説明の正確さは守りながら、個別化の程度や対話の量を変えられます。顧客は自分に必要な支援の深さに応じて選べるため、「安いほうは雑なサービスなのだ」と受け取られにくい設計を目指せます。
また、高価格の商品に不必要な機能を足して価格差をつくるのではなく、その顧客が本当に求める価値を増やすべきです。経営者が重要な判断を相談したいのであれば、資料のページ数を増やすより、判断の選択肢と根拠を明確にすることが重要かもしれません。ブランドごとの違いは、提供側の作業量の違いだけではなく、顧客にとって何が変わるのかという言葉で説明する必要があります。
担当者が変わっても、忙しくなっても、約束を守れる体制をつくる
販売開始直後には、少数の優秀な担当者が丁寧に対応することで、高い満足度を得られるかもしれません。しかし、顧客数が増え、担当者が交代し、繁忙期に入ったときにも同じ約束を守れるかどうかは別の問題です。ブランドを拡張する際には、初期の成功事例だけでなく、その品質を再現するための条件を確認しなければなりません。
具体的には、標準の手順、対応範囲、判断に迷った場合の相談先、引き継ぐ情報、品質を確認する担当者、例外対応の基準などを決めます。特に、複数の価格帯を同じ組織で運営する場合には、高価格の商品で行っていた個別対応が、低価格の商品にも無制限に流れ込まないようにする必要があります。それを防ぐことは、顧客への対応を冷たくすることではありません。約束した範囲を継続して守るために、提供条件を明らかにするということです。
公開後の評価では、売上や契約数だけでなく、説明と実態のずれ、問い合わせの集中箇所、想定外の作業、再購入や継続の状況なども確認します。「サービス自体に問題がある」のか、「事前に伝えた期待が高すぎる」のか、「本来対象ではない顧客に販売している」のかによって改善策が異なるためです。ステップ5は、発売までの工程ではなく、発売後も約束と実態を合わせ続ける工程だと考えるべきです。
STEP 06ステップ6:ブランド・アーキテクチャーを設計する――信用を共有し、期待を混ぜない構造をつくる
ブランドの構造は、顧客が迷わず選べるようにするためにある
ブランド・アーキテクチャーという言葉は複雑に見えますが、実務上の問いはシンプルです。どの名前にどの信用を持たせるのか、どの商品同士を近く見せるのか、どこで期待を分けるのかを決めることです。企業の組織図をそのまま顧客に見せることでも、商品名を格好よく整理することでもありません。顧客にとっての選びやすさと、企業にとっての運営のしやすさを両立させるための設計です。
ここでまず考えたいのは、価格差があるから必ずブランドを分ける、という発想にしないことです。同じブランドの中でも、内容や提供範囲の違いが理解しやすければ、複数の価格帯を扱うことはできます。反対に、価格差がそれほど大きくなくても、利用目的、雰囲気、顧客への接し方が大きく異なれば、別のブランドとして整理したほうがよい場合があります。判断基準は価格差そのものではなく、同じ名前で顧客の期待を整理できるかどうかです。
例えば、同じ研修サービスの中で、受講時間や参加人数によって料金が変わるだけなら、プラン名で説明できるかもしれません。しかし、経営者向けの個別支援と、誰でも購入できる自己学習教材では、購入理由も提供体験も大きく異なります。その場合には、共通の運営会社の信用を伝えつつ、商品を選ぶときには別の約束として理解できる名称や見せ方を検討する意味があります。
すべてを同じ名前にするか、完全に分けるかの二択ではない
ブランドの関係は、共通化から独立までの連続的な選択として考えると整理しやすくなります。一つの名前を前面に出し、商品やサービスの違いを説明語で示す方法もあれば、親ブランドの下に固有のサブブランド名を置く方法もあります。個別ブランドを主役にしながら、運営会社や親ブランドの名前を保証として添える方法もあれば、消費者向けの訴求では独立したブランドとして展開する方法もあります。すべての商品を同じ形式にそろえる必要はありません。
既存ブランドとの距離が近く、顧客が期待する価値も大きく変わらないのであれば、名前を増やしすぎないほうがわかりやすいでしょう。一方で、顧客の求める雰囲気や利用目的が変わる場合には、固有の名前を持たせることで、違いを認識してもらいやすくなる可能性があります。ただし、新しい名前をつくれば、その名前を覚えてもらうための継続的な活動も必要になります。
また、ブランドの名前を分けることと、会社そのものを別にすることは別の話です。顧客に対してどのような価値を約束するかというブランド上の設計と、法人や部門の構成は、必ずしも一致しません。顧客が知りたいのは、社内の管理区分ではなく、自分が何を購入し、何を期待できるのかです。
星野リゾートの事例は、「親ブランドとの距離」を調整する重要性を示している
星野リゾートについては、2023年に公開された当事者インタビューに、OMOの拡大が親ブランドや他のブランドのイメージに与える影響を懸念し、調査したことが記載されています。その結果を踏まえ、当時は星のやや界の独自性を強める方向で親ブランドとの距離を取り、OMOなどは親ブランドに近づける方針を説明しています。単に名前を分けるだけでなく、認知や知覚品質に応じて関係を調整している点が重要です。
ここから一般企業への示唆として考えられるのは、すべてのサブブランドに同じ強さで親ブランドを付ける必要はないということです。まだ独自の認知が弱い商品には、運営会社の信用を比較的わかりやすく示す意味があるでしょう。一方で、すでに独自の選択理由を持つブランドについては、その世界観を前面に出すほうが、顧客が期待を整理しやすい場合があります。これは、親ブランドを使うか使わないかではなく、どの程度、どの場面で、どの役割として使うかという問題です。
さらに、OMOの公式説明では、OMO3、OMO5、OMO7などの数字はホテルのタイプを表すものとして案内されています。例えばOMO3はベーシックホテル、OMO5はブティックホテル、OMO7はフルサービスホテルとされています。したがって、数字を単純な格付けや、星のやとの価格順位として解釈するのではなく、提供される機能や体験を選ぶための情報として捉える必要があります。
この例の本質は、価格帯を分けることそのものではなく、共通の信用の下で、異なる滞在目的や提供体験を混同させないことです。自社に応用する際も、「上位ブランドと下位ブランドをつくろう」と考える前に、「顧客にとって、何が違う選択肢なのか」を定義することが先になります。
価格帯ごとの違いは、購入前に理解できる状態にする
ブランドを分けても、Webサイトの説明、写真、営業資料、問い合わせ対応がほとんど同じであれば、顧客は違いを理解できません。名前の違いよりも、利用する前に何が伝わっているかが重要です。高価格の商品では何が含まれ、低価格の商品では何を顧客自身が行うのか、どちらがどのような場面に適しているのかを、比較可能な言葉で示す必要があります。
例えば、個別支援と定型支援を分けるのであれば、「プレミアム」「スタンダード」という名称だけでは不十分です。課題の特定を誰が行うのか、分析の対象はどこまでか、打ち合わせは含まれるのか、実行作業まで行うのか、何をもって提供完了とするのかを明らかにします。これらの違いがわかれば、顧客は価格だけでなく、自社に必要な支援の形で判断できます。
また、低価格ブランドの宣伝で「高価格ブランドと同じ品質を、圧倒的に安く」と安易に訴求すると、既存顧客から「では、これまでの価格差は何だったのか」という疑問を招く可能性を自らつくります。反対に、上位ブランドを守るために低価格ブランドを粗末なものとして説明すれば、新しいブランドに独自の魅力を育てにくくなります。両者を優劣だけで比較するのではなく、違う目的に適した完成形として説明することが大切です。
これは価格の安い顧客と高い顧客を分断するための仕組みではありません。同じ顧客でも、その時点の目的や必要な支援に応じて、適切な商品を選べるようにする仕組みです。将来、上位商品へ移ってもらうことだけを成功とせず、必要に応じて行き来できることや、別の利用場面で選んでもらうことも、ブランド全体の価値として考えるべきです。
サブブランドは、ブランド毀損を完全に防ぐ壁ではない
名前を分ければ、既存ブランドへの悪影響を完全に防げるわけではありません。親ブランドとの関係が認識されている以上、信用が新商品に伝わるのと同じように、新商品への不満が親ブランドの評価に影響する可能性もあります。ブランド拡張に関する実験研究では、拡張商品の特徴が既存ブランドに対する認識と矛盾する場合に、ブランドの評価が薄まることが示されています。
一部の実験では、親ブランド名をそのまま使う方法に比べ、固有名を組み合わせたサブブランドが悪影響を和らげた結果も報告されています。ただし、後年のメタ分析では、ブランドの付け方が悪影響を左右する効果は一貫して有意とはされていません。したがって、「別名を付ければ守れる」という万能な方法として扱わず、商品内容、説明、実際の体験まで含めて検証する必要があります。
実務では、新ブランドの認知率や売上だけでなく、親ブランドや主力ブランドがどのように受け取られているかも確認します。例えば、以前は専門性を評価されていたのに、拡張後は何でも扱う会社という認識が増えていないか、価格の理由が理解されにくくなっていないか、個別ブランドの体験が混同されていないかなどを調べます。ただし、評価が変わったからといって、その原因が必ず新ブランドにあるとは限りません。広告、競合、サービス品質など他の要因も考慮しながら、変化の理由を検討する必要があります。
顧客向けの違いと、社内で共有する基盤を分けて設計する
複数ブランドを展開すると、見せ方だけでなく、運営の仕組みも複雑になります。各ブランドが完全に独立して人材育成、顧客対応、管理業務、分析、システム整備を行えば、共通化できたはずの作業まで重複するかもしれません。一方で、効率を優先して何もかも同じにすると、ブランドごとの体験の違いをつくれなくなります。そのため、顧客に見せる違いと、社内で共有する基盤を分けて考える必要があります。
例えば、情報の管理、基本的な品質確認、担当者の引き継ぎ、共通する業務手順などは、ブランド間で共有できる部分があるでしょう。その一方で、商品企画、顧客への説明、接客の方針、提供範囲、写真や文章の表現などは、各ブランドの約束に合わせて設計する必要があります。共通化する理由は単なるコスト削減だけではなく、どのブランドでも守るべき基準を安定させることにもあります。
また、ブランドを増やすほど、管理責任も増えます。それぞれのブランドが誰のために存在するのか、どの商品を扱うのか、他のブランドと何が違うのか、どこまで親ブランドの信用を使用するのかを判断する責任者が必要です。名前だけが増え、運営の責任が曖昧な状態では、顧客にとっても社内にとっても複雑さが増えるだけです。ブランド数を増やすことを成長と同一視せず、維持できる数と役割に絞ることも重要です。
ブランドの構造は、販売開始後に付け足すものではない
ブランド・アーキテクチャーは、書籍では6つ目のステップとして示されていますが、実務では、アイデアを考える段階からブランドの関係を仮置きし、検証結果を踏まえて修正するほうが自然です。商品をつくり終えてから名前を分ければよいのではなく、どの名前で、どの期待を引き受けるのかを、開発や運営の条件と一緒に考える必要があります。
SOURCE出典・参考
- デビッド・テイラー『ブランド・ストレッチ――6つのステップで高めるブランド価値』英治出版、2004年(6つのステップの区分と「実現性」の定義)
- 星野リゾート 公式サイト|https://www.hoshinoresorts.com/(星のや・界・リゾナーレ・OMO・BEB各ブランドの位置付け)
- OMO by 星野リゾート 公式サイト|https://omo-hotels.com/(ご近所マップ・OMOベースなどの仕掛け、OMO3/OMO5/OMO7のタイプ区分)
- 星野リゾートのブランド戦略に関する当事者インタビュー(2023年公開)。OMO拡大時の親ブランドへの影響調査と、ブランド間の距離の取り方について
- ブランド拡張の評価・希薄化を扱った実験研究およびメタ分析(適合性の影響、サブブランド化の効果、拡張商品の具体的特徴を説明することの効果)
SUMMARYまとめ|新しい売上と既存の信用を両立させる
ブランド・ストレッチを考えるとき、最も避けたいのは、既存ブランドに知名度があるという理由だけで、新しい商品にその名前を付けてしまうことです。名前を使えば顧客が振り向く可能性はありますが、その先で何を期待されるのか、期待に応える体制があるのか、既存の商品との違いを理解してもらえるのかまで設計しなければ、信用を生かしたことにはなりません。信用を利用して販売することと、信用を維持しながら成長することは違います。
6つのステップを通して考えるべきことは、一貫しています。コアの強化では、自社が何を信用されているのかを確かめます。ビジョンでは、その価値をどこまで広げるのかを決めます。アイデアの段階では、顧客の未解決の課題から新しい提供方法を考えます。絞り込みでは、市場の魅力だけでなく、実行能力と会社全体への影響を確認します。実現の段階では、言葉で伝えた価値を実際の体験に変えます。そしてブランド・アーキテクチャーでは、共通の信用を活用しながら、異なる期待を混ぜない構造をつくります。
星野リゾートのような複数ブランドの展開から考えるべきなのも、「高価格と低価格を分ければよい」という単純な話ではありません。共通の運営主体への信用を生かしながら、それぞれのブランドがどのような目的のために存在し、どのような体験を提供するのかを明確にすることです。自社に置き換えるなら、価格帯を変える前に、提供価値の違いを言葉にする必要があります。そして、ブランド名を増やす前に、その違いが商品、運営、説明の中で実現されているかを確かめる必要があります。
新しいブランドが売れても、既存の主力ブランドの価格が説明できなくなり、顧客が違いを理解できず、現場が無理な対応を続けているのであれば、拡張はまだ成功したとはいえません。反対に、新しい顧客や利用場面に価値を届けながら、従来の顧客がこれまでどおりの理由で既存ブランドを選べるのであれば、事業の広がりとブランドの強さを両立できていると考えられます。
ブランドをストレッチするとは、同じ名前を使う商品の数を増やすことではありません。守るべき約束を明確にし、その約束が意味を持つ新しい場面を見つけ、違いを理解できる形で届けることです。既存ブランドの価値を守りながら成長するために必要なのは、名前を広げる技術ではなく、顧客から選ばれる理由を、壊さずに広げていく技術なのです。